大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和41年(ヨ)2237号 判決 1968年3月29日

申請人 A

<ほか四名>

右訴訟代理人弁護士 手塚八郎

同 鷲野忠雄

同 川口巌

被申請人 日本機械計装株式会社

右代表者代表取締役 音桂二郎

右訴訟代理人弁護士 田平宏

同 渡辺隆

同 原慎一

主文

申請人A、同B、同C、同Dが、いずれも、被申請人の従業員である地位をかりに定める。

被申請人は、右各申請人に対し、それぞれ、昭和四〇年一一月二一日から本案判決確定にいたるまで毎月末日かぎり一ヶ月別表記載の金員をかりに支払え。

申請人Eの申請を却下する。

訴訟費用は、申請人A、同B、同C、同Dと被申請人との間においては全部被申請人の負担とし、申請人Eと被申請人との間においては全部同申請人の負担とする。

事実

第一、申立

一、申請人ら訴訟代理人は「被申請人は申請人らに対し昭和四〇年一一月二一日から本案裁判確定に至るまで毎月末日かぎり一ヶ月につき別表記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

二、被申請人訴訟代理人は「申請人らの各申請をいずれも却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との裁判を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、被申請人が昭和四〇年一一月二〇日その雇傭する申請人らに対し本件解雇通告をなしたことは当事者間に争がない。

申請人らは右解雇通告は申請人らの組合活動を理由としてなされたものであると主張し、被申請人は企業合理化のための人員整理であると主張する。

二、(一) そこで、まず、本件解雇通告に至る経緯を認定する。

≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。

被申請人は、昭和二八年一二月特殊ポンプ工業株式会社として創業して以来着実に発展を遂げ、第二一期(昭和三八年一〇月一日から昭和三九年三月三一日まで)営業報告書には約七〇〇〇万円、第二二期(昭和三九年四月一日から同年九月三〇日まで)営業報告書には約六九〇〇万円、第二三期(昭和三九年一〇月一日から昭和四〇年三月三一日まで)営業報告書には約五一〇〇万円の利益を計上していたが、第二四期(昭和四〇年四月一日から昭和四一年三月三一日まで、この期から従前は半年毎になされていた決算を一年毎に改めた。)決算書には約九一〇〇万円の損失(上期には約四一〇〇万円、下期には約四九〇〇万円)を計上するに至った。

この間、昭和四〇年当初において、被申請人の売上高は、昭和三九年の産業界一般の不況の波を受けて激減し、第二四期上期(昭和四〇年四月一日から同年九月三〇日まで)の仮決算には四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円の赤字を計上せざるを得ないことが予想される事態となったため、被申請人は、当時、営業経費の節減、管理部門から製造、営業部門への人員の配転その他営業成績を上げるため各種の企業努力を試みて利益の増加を図ったが、同年八月二一日の常務会においては人員整理もやむを得ない旨の発言がなされ、ついに同年九月一一日の常務会においては固定的人件費を半年に約三〇〇〇万円削減すること、すなわち、当時一人当りの人件費は半年につき約三〇万円であったから約一〇〇名を解雇することにより企業の建直しを図るほかはない、との結論が出されるに至った。

そこで、当時常務取締役総務部長であった安藤道雄は、同日、部下の人事課長心得米加田民雄に対し、解雇のための人選基準案の作成を命じた。

米加田課長心得は、被申請人が従前からその従業員についてなしていた昇給考課表および勤怠表の適用により成績の低位者を選出し、これに年令および勤続年数等を考慮して人選することは容易であるが、その形式的適用によらず、むしろ企業が当該従業員を必要とするか否かの判断基準によって人選をしようと考え、人物観察申告書を作成し、同年一〇月一九日付をもって各課長等にその所属従業員の人物考査を依頼した。右人物観察申告書には(1)人質パターン(2)管理監督職或いは企画的専門職への適性(3)人事異動について(4)綜合評価の四項目があり、その中で(4)綜合評価の項は①この人が中途採用者の試験に応募して来たとしたら(イ)是が非でも採用したい(ロ)採用しても問題はない(ハ)他になければ採用もやむを得ない(ニ)無理に採用する程ではない(ホ)採用しないだろう②仕事の上達或いは潜在的能力(イ)彼ほど上達の早い者は他に求めがたい(ロ)彼ほど上達の早い者は決して多くない(ハ)普通(ニ)彼程度の人は大勢いると思う(ホ)彼の仕事ののびはほとんど止まっている(ヘ)上達の見込もなく潜在力もない、との選択肢があり①と②についてそれぞれ該当項に○印を付するものであった。同人としては右のうち(1)ないし(3)はいわばつけたりであって、(4)綜合評価を 必要としてその申告を求めたのであった。

ところで、前示のとおり三〇〇〇万円の経費節減のためには約一〇〇名の解雇を必要としたけれども安藤部長としては、右数字はあくまでも計数上のことがらであって、現実には四〇名ないし五〇名を解雇すれば足りるという見地に立っており、予め確定的に何名を解雇するという方針を立てていなかった。

米加田課長心得は、安藤部長の意を受けて四〇名ないし五〇名の解雇予定者を選出するため、まず、昭和四〇年度昇給考課表、昭和三九年度勤怠表、勤続年数、年令により従業員約四五〇名中成績低位者一〇〇名を選出し、これについて前記綜合評価をあてはめたところ、(ホ)以下の該当者は十数名(ニ)以下にまでこれを拡げるとその該当者は七十数名となった。そのため、綜合評価のみによっては安藤部長の望んでいる四〇名ないし五〇名の数は選出することができないこととなったので、同人は、同年一一月一日ごろ(1)綜合評価(2)昇給考課(3)勤怠(4)年令(5)勤続年数にそれぞれ配点をなして一〇〇点満点とする人選基準案を作成し、右基準案は翌二日の常務会で一部修正を受けたのち次のように決定された。この人選基準では得点数の高い者ほど不良社員としての評価を受けるものであった。

(1)  綜合評価(前記人物観察申告書(4)による。)

①  (イ)〇 (ロ)〇 (ハ)五 (ニ)一〇 (ホ)二五

②  (イ)〇 (ロ)〇 (ハ)五 (ニ)一〇 (ホ)二五 (ヘ)二五

(2)  昇給考課(昭和四〇年度分、男子はCからGまで、女子、嘱託、傭員はAからEまで区分されている。)

男子  (C)〇 (D)五 (E)一〇 (F)一五 (G)二〇

女子等 (A)〇 (B)五 (C)一〇 (D)一五 (E)二〇

(3)  勤怠(昭和三九年度分一年間の欠勤日数)

一〇日未満 〇 一〇日から一九日 五

二〇日から二九日 一〇 三〇日以上 一五

(4)  年令

二〇才未満 二 二〇才から二九才 四

三〇才から三九才 六 四〇才から四九才 八 五〇才以上 一〇

(5)  勤続年数

五年以上 〇 四年以上五年未満 一

三年以上四年未満 二 二年以上三年未満 三 一年以上二年未満 四 一年未満 五

米加田課長心得が右人選基準を全従業員に適用したところ、五一点以上は一八名、四一点以上は三六名、三一点以上は七三名となった。

そこで、被申請人は、同月一〇日に四一点以上の三六名および試用期間満了者一名の計三七名を解雇することを決定し、各部長にその名簿を発表したところ、各部長からうち一五名については当該従業員はその職場に不可欠であるので解雇しないでほしいとの上申がなされた。

ところで、被申請人は、当初においては経費節減を目的として人員整理計画を立てたのであったが、当時に至っては、経費節減という経理上の理由よりはむしろ、企業経営の危機に際し「会社が将来生々発展していく上には、従業員の質の転換充実が図られなければならない」という経営上の理由が主たる目的となって来ていた。そのため、被申請人は、各部長からの右上申を容れ、前記三七名中上申のあった一五名を除く二一名を解雇することとしたが、うち八名については各部長の責任において任意退職させることとなり、結局同月二〇日に残りの一三名について指名解雇をなし、その際一週間以内に申出があった場合には希望退職に切り替える旨を付言したところ、うち八名がその申出をなしたため、最終的には右申出をなさなかった申請人ら五名のみが解雇されたこととなった。

なお、右のほか、同年四月から九月までの間に自己都合退職者が四五名あり、さらに被申請人は同年一〇月一三日と二一日の二回に亘り、合計三二名の従業員を関係会社日機装電工株式会社に出向させ、さらに同月一八日から三一日までの期間希望退職者を募集したところ一五名がこれに応じていた。

右の時期を経過したのち被申請人の営業状態は好転し、第二五期(昭和四一年四月一日から昭和四二年三月三一日まで)決算においては約八〇〇〇万円の利益を計上し、第二六期(昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日まで)はさらに第二五期を上まわる利益をあげうるであろうことが予想されている。

以上の事実が認められる。

(二) 右事実によれば、被申請人が最終的に一三名について指名解雇通告をなした昭和四〇年一〇月二〇日の時点においては、企業破綻を回避する目的よりはむしろ従業員の質の転換充実が主たる目的となっていたものではあるけれども、だからといって人員整理の必要性が全くなくなったとまでいうことはできない。なるほど右一三名の解雇のみによってはそれによって節減しうる人件費は半年につき四〇〇万円足らずにすぎないけれども、右解雇通告は、被申請人が企業建直しのための方策として同年九月ごろからとって来た人員整理の一環をなすものであるから、右解雇通告も右一連の流れの中で位置づけなければならない。すなわち、被申請人は右解雇に至るまで三二名を関係会社に出向させ、希望退職者募集に応じた一五名を整理し、その後も八名を任意退職させるなどの努力をなしたのちに右解雇通告をなしたのであるから、右一三名あるいは申請人ら五名のみをとりあげた人数のみで人員整理の必要性を判断することは妥当でない。したがって、人員整理が残された唯一の再建策であったかどうかは別としても、前記損失額からみるときは一応は人員整理の必要性はあったということができる。

しかしながら、人員整理の必要性があったからといって以後の解雇がすべて正当となるものではなく、それが不当労働行為もしくは権利濫用に当る場合にその解雇が無効となることはいうまでもない。

(三) そこで、不当労働行為の有無について判断する。

前示のとおり、申請人らは解雇基準に該当するものとして解雇されたものである。そこでまず解雇基準すなわち前記人選基準の合理性について判断する。

前記人選基準のうち、(3)勤怠、(4)年令、(5)勤続年数の項は極めて客観的であって評価者の主観の介入を許さないものであるし、人員整理の基準として使用することも妥当である。(2)の昇給考課は、前記≪証拠省略≫によれば、知識技能、仕事の実績、協調性、責任感、勤務態度、創意工夫の六項目について第一次(班長)、第二次(職長、課長)、第三次(部長)の評価者が各項目について五点(上位)から一点(下位)まで五段階の評価をなし、さらに全員についてこれを男子はC(上位)からG(下位)まで、女子はA(上位)からE(下位)まで区分しているものであることが認められるところ、これについては評定者の主観が入ることはこの種人事考課方式としては止むを得ないことであり、元来評定項目が部分的分析的であるという欠陥はあるけれども、評価者が三名あることにより恣意的な評価は防止することができ、かつ、平常時に作成されているものであって人員整理などを見越して作成されているものではないことからみると評定者の主観と恣意を排除し得るという点から、人選基準の一要素とすることは不合理とはいえない。しかしながら、(1)の綜合評価は、極めて評価者の主観に依拠するものであり、かつ、その評定者は直属課長もしくはこれに相当する者一名のみであるから、甚だ客観性を欠くものといわなければならない。もとより、前記基準(3)ないし(5)の機械的適用から生ずる不合理性ならびに(2)の部分的かつ分析的な評価の積重ねによる不合理性を是正するために全体的な被評定者の企業における価値をとらえようとした点においてこのような基準の存在すること自体は直ちに不合理とはいえない。しかしながら、右基準のうち②仕事の上達或いは潜在的能力(前記人物観察申告書(4)の②)については、その評定要素(イ)ないし(ヘ)自体から見て、このような要素は、職能給における昇給基準として考量されるべき項目であって右四つの基準の適用の結果を是正する綜合評価の評定要素としては不適当である。そうすると、折角四つの基準の適用の結果を是正するために考案された右綜合評価の評定項目は「①この人が中途採用者の試験に応募して来たとしたら、」の項目のみとなるから、右綜合評価は人事考課方式としては極めて素朴な綜合評定方式であるとの批判に堪えうるものではない。そうすると(1)の綜合評価は杜撰なものであり、右四つの基準の欠陥、なかんづく(2)の昇給考課の欠陥を是正するには無力であって、前記の如く評定者の主観に依存する欠点をのみ存するものであるといわなければならない。しかも本件の人選基準によれば(1)の綜合評価は全体の半数である五〇点を配点されているのである。してみると、右人選基準のうち客観性を欠く部分が極めて大きいことにより、右人選基準は全体として客観性を欠きその公正性を疑わせる結果となっている。すなわち、かりにある従業員が(2)ないし(5)の基準では中位にあったとしても、(1)の基準においてたとえば組合活動家であるが故に、①中途採用者の試験に応募してきたとしたら(ホ)採用しないだろう、②(ヘ)仕事の上達の見込もなく潜在力もない、という評価を受けたとすれば、当該従業員はそれだけで五〇点を付与され、解雇基準点である四一点は容易に超過してしまうこととなる可能性があるからである。

(四) 進んで、申請人らの人選基準の適用について申請人らが組合活動をなしたことの故をもって不利益な評価を受けているかどうかについて判断する。

≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。

昭和三六年八月二六日、被申請人の従業員により全国金属労働組合日機装支部(以下「全金組合」という。)が結成され中村松雄が執行委員長、申請人Aが同副委員長に就任した。被申請人は、右結成の前日中村に対し東京から大阪への配転命令をなしたところ、右組合はこれを不当労働行為であると主張した。しかしながら、団体交渉の結果、同年一〇月に至り、執行部は総辞職し同人を委員長に再選しない、同人は大阪へ長期出張を命ぜられることもやむを得ない、との条件で配転命令が撤回され、申請人Aが委員長に就任した。右全金組合の中で申請人Cは職場委員、同Dは青年婦人部副部長およびうたごえサークルの指導者、同Bは青年婦人部に所属し、それぞれ積極的な組合活動をなしていた。右全金組合は被申請人に対し種々の要求行動等をなしたが、昭和三七年四月二五日には賃上を要求して二四時間ストライキを行なった。

右ストライキの中で全金組合は分裂し、同月二六日民間統合労働組合日機装支部(以下「民労組合」という。)が結成され全金組合の組合員も多数右組合を脱退して民労組合に加入して行った。全金組合は、第二組合である民労組合は被申請人が作ったものであり、全金組合員の同組合脱退民労組合加入は被申請人の切りくずしによるものである、と認識し、全金組合員は民労組合に加入して内部で御用組合から真の労働組合へ体質を改善しようということを決議して同年六月二〇日全金組合を解散させた。

しかしながら、民労組合は申請人Aほか数名のもと全金組合の活動家の加盟を拒否したため、同申請人らは昭和三八年三月三多摩金属労働組合二の一分会を結成し同申請人がその分会長に就任した。

その後、民労組合は同申請人らの加入を許すに至ったため同申請人らは三多摩金属労働組合を脱退して昭和三九年二月ごろまでには民労組合に加入し、申請人B、同Cらと共に、賃上要求につき執行部案をさらに増額させるなど執行部をいわばつき上げる活動をなした。

申請人Aは民労組合(以下単に「組合」という。)に加入した直後である同年二月、従前の組立工場から出張の多いサービス課に配転され、さらに同年五月四日広島に配転の内示を受け、同年六月一六日正式に配転命令を受けた。当時、同申請人は、右配転は組合内で他の組合員に影響力の強い同申請人を他の組合員から分離するためになされるものである、としてこれに反対したが、業務命令違反を理由として解雇されることをおそれて、約一ヶ月後に右配転に応じた。

同年九月に組合執行部の改選があり、申請人A、同B、同C、同Dはこれに立候補したところ、申請人B、同Dは当選したが、同A、同Cは落選した。

しかしながら、昭和四〇年九月の改選には右申請人ら四名はいずれも当選し、他にもと全金組合員であった者が三名当選したため、もと全金組合員であった者が執行部一三名中七名を占めるに至った。

以上の事実が認められる。

(五) 右事実によれば、申請人A、同B、同C、同Dはいずれも本件解雇通告を受けた当時は活溌に組合活動をなしていたということができる。

(六) そこで再び人選基準に立ち帰って検討を加える。

(1)  まず、申請人Eを除くその他の申請人について判断する。

≪証拠省略≫によれば、六項目にわたって、(イ)非常に優れているは五点(ロ)優れているは四点(ハ)普通は三点(ニ)やや劣っているは二点(ホ)劣っているは一点を配分した昭和四〇年度昇給考課表について、申請人Aは一九・五、同Bおよび同Cはいずれも二一・一、同Dは二〇・八を獲得していることが認められるが、いずれの項目も普通である者は一八点を獲得するはずであるから、右の数字によれば、同申請人らはいずれも普通以上の成績を得ているということとなる。

次に、≪証拠省略≫によれば右申請人らの昭和三九年度の欠勤日数は、申請人Aは五日、同Bは四日、同Cは三日、同Dは八日であり、遅刻早退等を考慮しても同Aは二回、同Bは三四回、同Cは五四回、同Dは一八回であって、同Bおよび同Cの遅刻、早退の回数がやや多いけれども右のほかは他の従業員に比較して多いとはいえないことが認められる。

さらに≪証拠省略≫によれば、年令および勤続年数については、申請人Aは四〇才で五年一〇月、同Bおよび同Cはいずれも二四才で六年七月、同Dは二六才で四年九月であり、他の従業員に比較して特に高令であるとか勤続年数が短いとかということはないことが認められる。

右のとおり右申請人ら四名は全従業員中普通もしくはそれ以上の勤務成績等を有するのであるが、≪証拠省略≫によれば、綜合評価①この人が中途採用者の試験に応募して来たとしたら、という項については、右申請人ら四名はいずれも採用しないだろう、という評価を受け、さらに申請人Dは特に同②仕事の上達或いは潜在的能力、の項について、(ヘ)上達の見込もなく潜在力もない、という評価を受け、その結果右申請人らは人選基準の適用上綜合評価の項で著しく高いマイナス点を付与されたことが認められる。しかしながら、前記人選基準(2)の昇給考課に従えばいわば平均的従業員である右申請人らが、いかなる理由で(ホ)採用しないだろう、という評価を受けるのかこれを首肯するに足る証拠はない。

してみると、申請人Eを除くその他の申請人らがいずれももと全金組合の組合員であり、当時民労組合の執行委員に選出されていたこと、組合に対する被申請人の態度、解雇のための人選基準たる右綜合評価自体すでに説述したように客観性を欠き評価者の恣意的評定を可能にするものであること、本件解雇通告は純粋に企業破綻を回避する目的でなされたものではないこと等の事情を考慮すると、申請人Eを除くその他の申請人らに対する本件の人選基準の適用およびその後になされた本件解雇通告はいずれも右申請人らが正当な組合活動をなしたことの故をもってなされたものと推定されるから、右解雇通告は労働組合法七条一項に該当する不当労働行為であって無効であるといわなければならない。したがって右申請人らは被申請人に対し本件解雇通告の翌日である昭和四〇年一一月二一日以降の賃金請求権およびその他の雇傭契約上の権利を有する。

(2)  次に、申請人Eについて判断する。

≪証拠省略≫によれば、同申請人は人選基準(2)昇給考課には、一五・二の評価を受け、特に責任感および勤務態度はいずれも二(やや劣っている)との評価を受けていること、昭和三九年度勤怠については、欠勤三〇日(うち病欠二六日)、遅刻、早退二三回をなしていること、年令二三才で勤続一年八月であることが認められる。

ところで、本件のように企業の破綻を回避する目的で人員整理の必要性がある場合、それが不当労働行為や権利の濫用にわたらない限り企業経営者が企業の生産性に寄与する程度の少い従業員を解雇することは、右解雇につき相当な理由があるものとして肯認することができるものであるところ、同申請人は右(2)昇給考課において平均的従業員よりも劣位にあるものであるから、企業の生産性に寄与する程度が少いものということができる。

同申請人は、被申請人が同申請人に対してなした本件解雇通告は不当労働行為もしくは権利濫用であると主張するが、本件全証拠によっても右事実を認めることができない。

すなわち、≪証拠省略≫を綜合すれば、同申請人は昭和三九年七月に民労組合に加入したこと、昇給について事務担当者に対し直接不満を述べたこと、足温器、螢光灯、テーブの切断器等の執務用の備品を備付ける要求をなしたこと、昭和四〇年七月ごろから同申請人のアパートで、雑誌「学習の友」を使用して五名ないし六名の女子従業員で構成されるグループの学習会をしていたこと、もと全金組合の組合員であった従業員たちで作られた統一派と称するグループで発行する新聞「渦」の発行の討議に参加したこと等の事実が認められるけれども、被申請人が本件解雇通告に及んだことが、これらの事実の故であるということを認めるに足る証拠はない。

三、申請人Eを除くその他の申請人らの一ヶ月の賃金額が別表賃金欄記載のとおりでありその支払日が毎月末日であることは当事者間に争がない。

申請人らはいずれも賃金を生活源とする労働者であるから他に恒常的に勤務して賃金を得ている等の疎明がない本件においては、本案判決の確定を待っては回復し難い損害を蒙るべきことは明らかである。

四、よって、申請人Eを除くその他の申請人の申請は正当であるからこれを認容し、申請人Eの申請は理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山要 裁判官 吉永順作 山口忍)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例